今までなんでこの音楽を聴かなかったのだろう、
今までなんでこの本を読まなかったのだろう、
今までなんでこんなことも知らなかったのだろう、
と思うことがよくあるけれど、
今日はそんな映画、を見た。
かっこよくもかっこ悪くも無いけれど、
ずっと忘れもしないだろう映画。
いや、
忘れもしないだろう、ということさえも
知らぬうちに忘れてしまうことになる、と思う。
ただ、
これを今日(今夜)見ることが必然だったということに
たまらなく驚いた。
この始まりは高校生のとき(それも2年生の冬)、
名古屋の小さな映画館で音楽の映画を見る前に、
その予告を観て、
何の気なしに「あ、観てみたい」という瞬間から始まる。
次の瞬間にはその「それ観てみたい感」を忘れ、
それから約6年後(それはつい先日のこと)のアルバイトの帰り、
一服したくなって、
コンビニで缶コーヒーを買うところまで変化無く流れる。
ただその時もらったレシートには
「当たり」と印刷されていて、
その足でレンタルビデオ店に行くことになって、
再び動く。
レンタルビデオの店で、
見かけたタイトルに「観て見たい感」を約6年ぶり思い出す。
それと、それからもう一つ別のもの、を「当たり」によって
無料で借りた。
それから今日、夜に映画を観たくなったけれど、
「もう一つ別のもの」を観る気分には到底なれず、
(別のもの、は南国の映画で、今日は雪が降っていてそういう気分で無い)
それで結局、「別のもの、ではないほう」を観た。
つまり、
今日雪が降っていなくて、
ビデオ店で「観てみたい感」を思い出さなくて、
ビデオ店に足を運ばなくて、
コンビニのレシートに「当たり」と書いてなくて、
コンビニに寄らなくて、
缶コーヒーを買わなくて、
たばこを吸いたくならなくて、
6年前に映画に行ってなくて、
そもそも音楽の映画を見に行こうと思わなくて、
そもそも音楽とか映画とか、そういう全部好きでなかったら、
今日あの映画を見なかった、こと。
でも、
一番気になったのは、
「この必然がどういう必然に繋がるのかな」ということ。